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横浜地方裁判所 昭和56年(わ)2202号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【説明】

本判決は、追突事故において、追突の状況について鑑定により認定したうえ、事故によりむちうち症の傷害を受けたとする被害者の証言やこれに沿う医師の証言等を必ずしも措信し得ないとして、事故によるむちうち症の発生は認められないとしたものである。交通事件において、むちうち症の発生の存否若しくはその程度について争いとなる例は少くなくないと思われるところ、その間の事実認定上参考になると思われるので掲載する。

【判旨】

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五四年七月二七日午前一一時ころ、普通貨物自動車を運転して神奈川県藤沢市鵠沼二、一二一番地付近道路を江の島方面から藤沢駅方面に向つて走行し、和田隆美運転の普通貨物自動車の約九メートル後方を同車に追従する形で時速約三〇キロメートルの速度で走行中、助手席の下に落ちたカッターの替刃箱を拾おうとして暫時自車の床上のみを注視し、前方から目をはなしたまま、約一七メートルも進行を続けて、自車前部を右和田運転の車両に追突させ、もつて、ことさら他人に危害を及ぼすような方法で運転したものである。

(補足説明)

一本件は控訴審からの差戻事件であり、これまでの審理経過の概要は次のとおりである。

(一) 被告人に対する公訴事実(昭和五五年四月三〇日付、略式命令請求を伴うもの)の要旨は、「被告人は自動車運転の業務に従事する者であるところ、昭和五四年七月二七日午前一一時ころ、普通貨物自動車を運転し、神奈川県藤沢市鵠沼二、一二一番地先道路を江の島方面から藤沢駅方面に向い時速約三〇キロメートルで進行中、前方左右を注視し進路の安全を確認して進行すべき注意義務があるのに、これを怠り、前方注視不十分のまま漫然右速度で進行し、折から自車前方を同方向に向け通行中の和田隆美運転の普通貨物自動車が減速したのを約2.6メートルに接近するまで気付かなかつた過失により、同車に自車を追突させ、よつて、同人に加療約九か月間を要する外傷性頸部症候群の傷害を負わせた。」というにある。

(二) 藤沢簡易裁判所は、昭和五五年五月一三日右公訴事実と同一の事実を認め、罰金一五万円に処する旨の略式命令をなしたが、被告人から正式裁判の請求がなされたので、公判審理の上、同五六年二月二七日公訴事実と同旨の事実を認定(ただし、審理中に変更された訴因に従い、被害者の傷害の程度を加療約一〇か月間と認定)し、被告人を罰金五万円に処した。

(三) 東京高等裁判所は、弁護人からの控訴に基づき審理し、昭和五六年一〇月一四日、「原審取調べの証拠を検討してみると、被害者和田の本件傷害が果して被告人運転の車両との追突によつて生じたものかどうか、これを肯定するとしてその傷害はどの程度のものであつたかは、明らかになつているといえず、この点を解明するためには被告人、和田各運転の車両の追突時の速度を確定した上、衝突の態様、衝撃の程度等をつまびらかにする必要があるが、これらの点に関する被告人並びに和田の各供述の間には重大な食い違いがあつて、にわかにその真偽を断することができない。ひつきよう、原審で取り調べられた証拠のみによつては、原判示事実のうち、少なくとも和田の傷害と本件追突との因果関係の点に関しては、これを肯認するに足りず、原判決は審理不足により事実を誤認したものであつて、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。」旨判示して原判決を破棄し、「さらに第一審において審理を尽くすのが相当である。」として、本件を藤沢簡易裁判所に差し戻した(以下、差戻判決という。)。

(四) 藤沢簡易裁判所は昭和五六年一二月一日本件を横浜地方裁判所に移送する旨決定した。

(五) 当裁判所の審理において、検察官は予備的に安全運転義務違反(道路交通法一一九条一項九号、七〇条違反)の訴因追加を請求したので、当裁判所は弁護人の意見(然るべく)を聴いた上、これを許可した。

二当裁判所は、審理の結果、主位的訴因についてはその証明が十分でなく、予備的訴因についてはその証明が十分であると判断したので、以下においてその理由を略述する。

(一) 取調べにかかる関係各証拠(その主なものは別紙証拠一覧表に<省略>記載したとおりであつて、以下の説明においては、その下欄に記載した略符号を使用する。)によれば、次の事実が明らかである。すなわち、

(1) 被告人は、昭和五四年七月二七日午前一一時ころ、普通貨物自動車を運転して神奈川県藤沢市鵠沼二、一二一番地付近道路を江の島方面から藤沢駅方面に向つて走行し、和田隆美(当時五〇歳)の運転の普通貨物自動車の約九メートル後方を同車に追従する形で進行中、助手席の下に落ちたカッターの替刃箱を拾おうとして暫時自車の床上のみを注視し、前方から目をはなしたまま進行を続けたため、自車を和田運転の車両(以下、和田車という。)に追突させた。

(2) 右現場はアスファルト舗装の、平坦で乾燥したほぼ直線の道路(車道部分の幅員は約九メートル)であり、被告人運転の車両(以下、被告人車という。)はニッサン・キャラバン四七年型(車両重量一三五〇キログラム、最大積載量一〇〇〇キログラム)で、当時同乗車はなく、荷台には二〇〇ないし二五〇キログラムの荷物が積載されており、他方、和田車はニッサン・キャブスター五一年型(車両重量一三五〇キログラム、最大積載量一五〇〇キログラム)で、当時空車であつた。

(3) 被告人と和田は、右追突後直ちに現場で双方の車両に若干の損傷が生じたことを確かめ、相談の上、間もなくもよりの藤沢警察署石上派出所に赴いて物損事故の届をなし、応対した警察官も両車両の損傷状況等を見分した上でこれをそのまま受け付けた。

(4) 和田は翌七月二八日神奈川県相模原市所在の相模外科病院で診察を受け、当初全治約一週間を要する頸椎捻挫と診断されたが、その後外傷性頸部症候群という病名で同年八月二日から九月二〇日まで同病院に入院し、退院後も翌五五年五月二九日まで同病院に通院した。

以上(1)ないし(4)の各事実は証拠上明らかなところである。

(二) そこで、右(4)の傷害(あるいはその一部)が被告人の右(1)の行為によるものかどうか、換言すれば、被告人の過失による本件追突事故に因つて和田が傷害を負つたものかどうか、につき検討すべきであるが、この点を解明するためには被告人車と和田車の追突時の速度、衝突の態様、衝撃の程度等をつまびらかにする必要があることは差戻判決の指摘するところである。しかし、これらの点に関する被告人の供述(員供、検供、前公供)と和田の供述(前公供)の間には重大な食いちがいが存し、差戻後改めて被告人及び和田の各供述を聴いてみても右食いちがいは少しも解消されないので、この両供述を対比するだけでその真偽を断ずることは相当でない。

よつて、まず、これらの点に関するその余の証拠を検討してみると、(ア)片岡・鑑定書は、本件における唯一の物的証拠というべき被告人車と和田車の型式、重量、事故による変形その他の損傷状況等に基づき、「被告人車は和田車に対し中心部が約三〇センチメートル右方に寄つた状態で追突したものと考えられ、衝突時の両車両の速度差は一〇キロメートル毎時前後であり、衝撃加速度は1.5ないし3.0g前後と推定される。」旨判定し、(イ)井上・鑑定書は、「片岡・鑑定書において使用された計算式とその計算結果にほぼ間違いはない」とした上、「被告人車は和田車の真後ろから追突したもので、衝撃加速度は1.5ないし三g程度の軽度のものであつたと認められる。追突時の両車両の速度差は約一〇キロメートル毎時と計算されるから、衝突時の和田車の速度が時速一〇キロメートル、五キロメートル、ほぼ停止の状態とした場合には、被告人車の速度は時速二〇キロメートル、一五キロメートル、一〇キロメートルと推定される。」旨判定し、(ウ)井上・公供は井上・鑑定書の内容を補足して、「被告人や和田の供述、追突後の両車両の停止状況等に照らせば、追突時の被告人車の速度は時速約一〇キロメートル、和田車はほぼ停止の状態にあつた可能性が一番大きく、少なくとも被告人車の右速度が時速二〇キロメートルを超えていたものとは考え難い。本件における衝撃加速度は一g程度と考える方がより正確かも知れない。」旨説明している。これらの推論の根拠とその過程あるいはこれに関する説明には内容的にみて不合理、不自然な点がなく、その結論は措信できるものと考えられるから、「本件追突時の被告人車の速度は時速一〇ないし二〇キロメートル程度であり、和田車はほとんど停止に近い状態か、せいぜい時速一〇キロメートル程度の低速で進行していたものであつて、事故による衝撃はかなり軽度のものであつた。」と認めるのが相当である。

翻つて、右結論に照らしながら被告人及び和田の各供述を吟味してみると、被告人は捜査段階以来ほぼ一貫して右結論と同趣旨の供述を続けているのであつて(すなわち、被・員供において、「時速約三〇キロメートルで和田車の約一〇メートル後方を追従走行中、カッターの替刃が床に落ちたので、これを拾うため前を見ずに進行したが、ブレーキペダルに足をかけ、少しずつ減速したつもりであつたところ、再び前方に目をやつたときには和田車が停止寸前で、約2.5メートル前方にあつたので、あわてて急ブレーキをかけたが間に合わなかつた。この時の自車の速度は約二〇キロメートル毎時であつた。自車はその場に停止し、和田車は約2.3メートル前方に停止した。」旨供述し、被・前公供において、「時速三〇キロメートルで走行中に脇見運転をしたが、そのときアクセルから足をはずしていたので、追突時の速度はせいぜい時速二〇キロメートル位と思う。ああ、ぶつかつちやつたという感じで特にショックはなかつたから、和田もたいしたことはないと思つた。」旨供述し、被・公供においては、「時速三〇キロメートル以下で走行していたものであり、追突時には時速一〇キロメートル位ではなかつたかと思うが、それなら急ブレーキをかければ追突しなかつた筈であると言われると、はつきりしたことは言えない。」旨供述しているのである。尤も、被・検供の中には、「時速約三〇キロメートルで和田車の約九メートル後方を進行中、カッターを拾うために脇見運転したが、再び前方を見たときには和田車が減速していて約2.6メートルに接近しており、急ブレーキを踏んだが間に合わなかつた。」旨の記載が存するが、公訴事実に合せた抽象的なものにすぎず、これをもつて被告人の供述が一貫性を欠くものということは相当でない。)、内容的に不自然な点はなく、和田の供述以外の関係証拠との間に特記すべき食いちがい等も見当らないので、被告人の供述を措信できないものとして排斥すべき理由はないものというべきである。他面、和田の供述は、まず、追突時の自車の走行速度について、「少なくとも時速三〇キロメートル程度であつて、それより遅いということはなく、渋滞等のために減速したこともない。」としている点で(和田・前公供・公供)前記結論と明らかに相容れないものである上、差戻判決も指摘する如く、追突時の自己の頭部の動きに関する部分(和田・前公供)が物理学上の慣性の法則に反していて不合理であり、更に、実況見分の情況につきほとんど何も覚えていないとしていて(和田・公供)回避的であることや「相模外科病院では初診のときから医師に入院を勧められた。」旨の部分(和田・前公供、公供)が天羽・前公供、杉浦・裁供、第一診断書等と食いちがつていること、相模外科病院における通院治療打ち切りの理由に関する説明(和田・前公供、公供)も曖昧で、天羽・前公供や杉浦・裁供に照らしても不自然であることなどを併せ考えると、全体として甚だ信用性に乏しいものというほかない。

(三) 進んで、追突状況等に関する前記結論に基づき、和田が追突によつて傷害を負つたかどうかにつき検討してみる。

まず、和田は、「本件事故の当初から右首筋付近に痛みを覚えたが、一応たいしたことはないと思つていたところ、作業現場等で肩や首に痛みを感じ、その夜及び翌日にも、立ちくらみやはき気、背部の痛みなどがあつたので、相模外科病院の診察を受け、レントゲンを撮られて、頸部の骨に異常があると言われた。ベツトの空くのを待つて八月二日に入院したが、入院中及び退院後翌五五年五月二九日までの間、首から肩にかけての痛みなどが続き、左腕は一年余りたつたのちまで十分に上げられない状態であつた。本件事故以前に肩や首に異常を感じたことはなく、頸部に生来性の異常があると言われたこともない。」旨供述(和田・前公供。公供も同旨。)しているのであるが、同人の供述には前記のように多くの点で疑問があり(同人の供述がそれなりの一貫性を有しているだけに、各疑問点を個別的に観察して、単なる錯覚や記憶ちがいとみることには躊躇を感じざるをえない。)、全体として信用性に乏しいものであるから、その症状等に関する供述や医師に対する訴えについても(全くの仮病、詐病とまでは断定できないとしても)、相当の誇張あるいは虚偽が混在している疑いが強く、俄かに措信できないところである。

次に、相模外科病院の関係医師の供述等をみると、(あ)天羽医師は、和田を診察、治療した医師の一人として、同人の訴えた諸症状や治療につき説明し、「和田がいろいろ訴えても、全くの詐病であれば判るし、他覚的所見もあつた」というのであるが(天羽・前公供)、仔細に吟味すると、初診時及び昭和五五年四月四日のレントゲン撮影の結果、和田の頸椎の四番、五番、六番に生来性と思われる異常が認められたという点を除けば、ローンベルグ検査の陽性反応、握力の低下、肩関節の運動制限など、必ずしも客観的に明確な他覚症状とはいい難く、しかも、同医師は「和田の場合、生来的な頸椎の脆弱に急激な力が加わつたことによつて症状が一度に出てきたとみられるが、放置しておいても徐々に症状が現われうる。」旨説明しているのであり、(い)杉浦医師は、「初診時の和田にはイートンとかジャクソンという特殊な症状はなく、握力も普通であつた。ただし、レントゲン撮影の結果、第五、第六頸椎に変形が認められ、これは生来的のものと思われる。初診時にはたいしたことないと考え、全治一週間の頸椎捻挫と診断した。その後、めまい、はき気、自律神経系の異常などを訴えるので、外傷性頸部症候群という病名に変えて、治療したが、自分としては、患者の言うことを一〇〇パーセント信用して診療することにしており、本件でも仮病を疑つたことはない。」(杉浦・検供、裁供)旨供述しているのであつて、(う)これらの供述と検・報に添付されたカルテの写を併せてみると、相模外科病院の両医師らは、和田からの運転中に追突された旨の申立とレントゲン撮影の結果認められた同人の頸部の異常に基づいて、「むち打ち症」の診断をなし、以後、同人の訴えに従つてこれに対する治療を行つたものにすぎない疑いが強い。しかるところ、井上・鑑定書、井上・公供によれば、「昭和五七年七月一〇日のレントゲン撮影の結果によると、和田の頸椎には特記すべき異常は何ら認められない。」というのであり、この点は、杉浦・裁供も自認していて、「何故頸椎の異常が現われていないのか不思議である。」と供述しているのである。相模外科病院において撮影したレントゲンのフィルムが現存しない以上真相の解明は困難であるが(杉浦・裁供の中の検察官の質問によれば、捜査検察官からは、同病院に対して右レントゲン・フィルムの長期保管方の依頼がなされていた事情が窺われ、そうであれば、これを廃棄した同病院の態度は理解し難いところである。)、井上・鑑定書の如く、天羽・前公供を「レントゲン撮影時の方向や角度の違いから生ずる骨の濃淡や、個人的に存在している椎骨の各部分の大きさ、湾曲度の動揺(すなわち、生理的範囲内の個人差)のあるところを特に採り上げ、半ば無意識的に誇張されたもの」と理解するとすれば、ひつきよう、同病院における診断結果は、症状等に関する和田の訴えが全て真実である場合にはかなり高い信頼性を有するものといえるが、これに誇張や虚偽が存する疑いの強い本件において、同病院の診断結果(つまり、天羽・前公供、杉浦・検供、杉浦・裁供、第一ないし第三診断等)をもつて、和田の追突事故による傷害を認めさせる有力な証拠ということはできないところである。

一方、井上・鑑定書は、「本件は軽度の衝突であつて、和田の頸部などに同人が訴えるような傷害が生ずる可能性はなかつたのではないかと考える方が妥当であり、同人が昭和五七年七月現在訴えているような症状は、四〇肩若しくは五〇肩といわれている病気のためと診るのが妥当である。」旨判定し、井上・公供は「和田に対し本件追突時に頸椎の異常を伴わない程度のむち打ち症が起つていた可能性を否定することはできないけれどもその可能性は極く少ない。現段階においては、追突時の和田の訴えが真実かどうかを判断することはできず、勿論、仮病であると断定することはできないが、仮に、真実であつたとしても、その症状が本件事故によつて現われたものかどうかははつきりしない。」旨説明していて、和田の追突事故による傷害を認めさせるに足るものでないことは明らかである。

なお、和田勝美は「夫である和田が、事故の当夜、首が痛いと訴え、翌朝気持ちが悪い、とかめまいがする、と言つていた。首にサロンパスをはり、胃腸薬を飲ませた。その後も肩のしびれなどをいろいろと訴えていた。」旨供述しているが(勝美・公供)、追突事故による傷害の存在を認めさせるに足りない。

このように関係証拠を検討してみると、一般的に言えば、かなり軽度の衝撃によつてもむち打ち症若しくは頸椎捻挫等の傷害が生じうることは検察官の指摘するとおりであるし、本件においても、和田が事故後早い時期から首や肩の痛み、はき気等を訴えていた点を重視する限り、同人が少なくとも軽度の(例えば、第一診断書に記載された「全治約一週間」の)頸椎捻挫の傷害を本件事故によつて負つた可能性は相当にあるのであるが、他面、同人の訴える諸症状等の真実性にかなり疑問がある以上、同人にはたして刑法上の傷害といえるほどのものが存したのかどうか、仮に存したとしても、それが本件事故によるものかどうか(この点では、差戻判決の指摘するように、和田が本件事故前後に荷物の積卸しなどの重労働をしている事実を看過することができないし、井上・鑑定書に現われている「四〇肩若しくは五〇肩といわれる疾病――交通事故で起る性質のものでなく、四、五〇歳の年齢に達した者に、多くは格別の動機若しくは原因なく起つて来るが、ときには、重量物を持ち上げまたは持ち上げようとした途端に出現して来ることもある――」の可能性を否定することができない。)、については、合理的な疑いが残るのであつて、取調べの証拠によつてこの疑いを解消することができず、結局、事故による傷害の点は証明不十分といわなければならない。

(四) 本件事故前の被告人車の走行状況等については前記(一)のとおり、(1)及び(2)の事実が認められるのであつて(なお、本件は道路交通法一二五条二項二号及び四号に該当する場合である)、予備的訴因の証明は十分である。

よつて、主文のとおり判決する。

(堀内信明)

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